山に対する思いは人それぞれ違う。
本のみの情報で知る限り、一昔前はより高くより険しい山を征するために挑んでいた印象がある。初登頂や初登攀など、前人未踏の領域にロマンを見出だしていたのかもしれない。
現在では苦労して登頂したとしても、その山を『征した』とは言えない前人多踏状態だ。(※国内に限る)
それでもなお、私が山に登りたくなるのは明確に挑むべき要素があるからであり、その相手とは自然でも他者でもなく自分自身そのものに他ならない。
個人的に思うに、これまでで最も厄介な相手は自分自身であり、そのたちの悪さはチョモランマ級だ。
普段の生活では忙しさにかまけて(実は忙しくなくても)、己と向き合うことを意識的に避けている感がある。しかし、自分で歩かなければ先には進めない『山』という環境に身を置けば、否応なく自己対話が始まる。
征すべき相手は外にあらず。
私にとって山とは、これを実感しやすい環境であるということだ。
よし、自己対話に出発。
目的地はこれまで何度も訪れている大菩薩エリアの丸川荘。本日は歩荷したついでに素泊まりするプランにしている。
『歩荷(ぼっか)』とは、山小屋などで必要な荷物を人力で担ぎ上げる行為を指す。
元々は長野県松本市から広まった呼び方らしく、その昔、飛騨から相当な量の荷物を背負ってやって来る行商を見て、「荷物が歩いているようだ」と言われたのが発祥らしい。(※諸説あります)
仕事終わりで家を出たのは15時過ぎ。
丸川荘への最短ルートである裂石から登るにしても、到着する頃には真っ暗になってしまうだろう。とは言え、大事な荷物もあることだし焦らずに行こう。
富士山では『強力(ごうりき)』とも呼ばれる歩荷からは、大量の荷物を背負う極めて屈強な人物像を思い浮かべてしまう。それに比べて私の荷物量は極めて可愛らしいモノだ。歩荷と言うのもおこがましい気がしなくもない。
強力と言うよりは、小力・・・。
荷物をくくりつけた背負子を実際に背負ってみると、バランスの取り方がザックとは異なり、油断すると荷物に振られてしまいそうになる。重量的にはテント泊縦走時と同等程度でも、その背負った感覚は別物だ。
荷物に振られないように重心を維持しながら歩いていると、早くも汗が滴り落ちてきた。そして、歩荷と言う名の自己対話がはじまる。
「そんな荷物量で大汗かいてるって小力じゃね?」
自ら放たれる己への罵倒。
周囲に見る者など誰もいないというのに、他者からの評価を意識させられる。もっとも、周囲を意識しすぎる自分の性格を知っているだけに、あえて触れたくない箇所を追求してくるのだ。ただ、そうとわかっていても見苦しい自己弁解が始まる。
「自分に素直に」「自分らしく」などの御託を脳内で並べながらも淡々と登り続けていると、やがて言い訳が少なくなってくるのがわかる。
そんな時、下山してくる登山者に「ご苦労様です」と声を掛けられた。
「こんにちは」じゃなく「ご苦労様」。
「その荷物を背負えて凄いですね!」の意味合いを感じる、羨望の思いが込められた「ご苦労様」だ。
この自意識過剰な解釈によって評価された気になってしまい、私の中の優越感ゲージがピクリと反応する。
しかし、すぐに平静を取り戻した。
ひと頃だったら「こんなの楽勝ですよ、ハハッ!」と、強がりのひとつやふたつ口にしたかもしれない。しかし、その優越感は幻想であり屁の突っ張りにもならないことを、山歩き中の自己対話から実感として得ている。
呼吸の乱れが多少あっても、まだ問題なく動ける自分の身体を把握できている。怠けて休みたい気持ちもわかる。不要な言い訳をしたい気持ちもわかる。他者からの評価を欲している気持ちも勿論わかる。
ただ、これらの感情は、肯定も否定もせず客観的に眺めているだけでいい。今、やるべきは登ることだけ。
こう思えると気分が軽やかになる。大汗を流そうが疲労困憊となろうが、このシンプルな思考が実に心地好いのだ。罵倒含みだった自己対話もいつの間にか消え去っている。
ああ、心地好い。
すっかり暗くなってしまったが、急な岩場にもバランスを崩すことなく無事に丸川荘に到着した。
大汗をかいた割に疲労感は少ない。丸川荘のTさん(該当者は一人ですが)の「登りは重心を上、下りは下」の教えに基づき、荷物を積んでいたのも良かったようだ。以前、適当に積み上げて背負ったところ、30分と持たずに肩が凝ってしまった経験がある。その経験との疲労感の違いは歴然で、よく言えば比較できる失敗があったからこそできた実感だ。
登り始め前は悶々としていた気分も、適度の疲労感でスッキリ。思考はシンプルに。
こうして、自己啓発セミナー的な歩荷を無事に終え、染み入る暖かさの豆炭コタツに入りながら静かな山中の夜を静かに過ごした。
翌朝、大菩薩嶺へと朝の散歩に出かける。
霧雨漂う早朝の樹林帯は暗闇と静けさに覆われている。夏期であれば無警戒に山道へ現れるシカも、猟期に入ったことを感じ取ってか、じっと身を潜めているようだ。
※一般的な猟期は11/15~翌年2/15まで
このような状況のため、当然、誰とも会わずに大菩薩嶺に到着。
既に切り開かれた山道伝いの登頂に『征した』感じはまったくしないが、山に対して『挨拶に伺った』ような謙虚な気分になれる。
今後ともよろしくお願いします。
ぐぅ~。
如何せん、私の腹の虫に謙虚さなど微塵もない。
戻ってきた丸川荘では、Tさんのご厚意により丸川荘の名物朝御飯である『とろろごはん』を頂いた。
生姜の効いたわふわサクサクのとろろ飯に刻みネギを乗せ、「頂きます!」の号令とともにかっ食らう。これには私も私の腹の虫も、文句ナシの大満足だ。
お腹が満たされたので帰りの歩荷も引き受けて下山。昨日に引き続き、シンプルな思考で心身ともにリフレッシュされた気分になった。
ああ、山は心地好い。