週末の天気が良い。
それなら行こう、山へ。
毎週のように山に行っていると、何だかうしろめたい気分になってしまうのは、苦労を美徳とする日本特有の雰囲気があるからだろうか。
するべき仕事をこなしてもなお気になってしまうのは、まだ苦労が足りないと感じているからか。
こんな私が自虐的に「(頻繁に山に行っているのは)現実逃避ですかねー」と言った事がある。
それを聞いていたとある方の一言。
「山こそ現実だよ」
おおっ、カッコイイ。
己の命はもとより、衣食住すべての責任を負って登る山こそ現実であり、お金で解決できてしまう社会は非現実的だと言う。
どちらにしても極論だが、清々しい気持ちで山を歩きたい私にとって好都合の理論。
コレ、採用。
そんな訳で今週もゆくか、現実と逃避の狭間へ。
目的地は奥多摩の酉谷山(とりだにやま)。
鳩ノ巣駅から入山して、川苔山、蕎麦粒山を経て一杯水避難小屋で宿泊。翌早朝に酉谷山を越えて破線ルート伝いに秩父へ抜ける縦走スケジュールだ。
大人気の奥多摩でも比較的静かと言われるこのエリアに踏む込むのは初めて。
そして、そこにはどんな現実(或いは逃避)が待っているのか楽しみだ。
始発の電車で鳩ノ巣駅へ。
駅前のお店で飼われているネコのタマと触れ合ってから山歩きをスタートした。
今回はヨメも同行。ただ、ヨメは川苔山で引き返す日帰りスケジュールのため身軽な軽装備となっている。
一方、私は川苔山から更に奥へと進むので、念のためテントも持った完全縦走装備。
荷物量の全く違う私たちを端から見ると、『ヨメの尻に敷かれているダンナ』と思われ同情されそう。
久し振りにテント泊装備の重量を背負ってみたが堪える。
早くも汗が吹き出し、呼吸が乱れて歩みも遅くなってしまう。
一方、軽装のヨメは涼しい顔。
この状況を端から見ると、『どれだけヨメに虐げられているんだ』と思われ、またしても同情されそう。
目撃された方は勘違いしないように。
とにかく調子が出ない。
これまでの私のパターンとして、テント泊装備の山行初日は疲労困憊になりやすい事が経験上わかっている。
山行1日目→激しく疲労
山行2日目→程よく疲労
山行3日目→少々疲労
山行4日目→絶好調!山、住める!
このような感じで、日を追うごとに調子が良くなる事の多い私だが、本日の疲労は激しすぎる。
己の体力を過信しているのか、ペースが早すぎるのか、40歳へのカウントダウンが始まったからか。
ベンチや座り心地の良さそうな場所を見つけると、すぐに座り込んでしまう始末。
こんな調子でも何とか川苔山山頂へ到着した。
「この先、歩けるだろうか」と、心配になりながら昼食を摂って少々うたた寝。
ウトウトしただけでも、ある程度回復した。
よし、これなら行けるだろう。
下山するヨメに別れを告げて、まずは日向沢ノ峰(ひなたさわのうら)へと向かう。
【峰(うら)情報】
沢の先端が「うら」と呼ばれる事から、『日向沢ノ峰』は『ひなたさわのうら』と読みます。これをドヤ顔で語れば奥多摩通を気取れます。
左奥に見える蕎麦粒山を越えて一杯水避難小屋へ向かいます。
賑わっていた川苔山とは変わり、分かりやすく人の気配が消えた山道を下る。
下りで使う筋肉はまだ健在で、今のところいい調子だ。
問題は登り。
ここから一杯水避難小屋へは日向沢ノ峰、蕎麦粒山の他、いくつかの小ピークを越える必要がある。
気合いを入れて、まずはひとつ目のピークを登り始める。
自分のペースがつかめてきたのか、まずまずの感じ。
しかし、少しでも(本当に少しでも)急ぐと、すぐさま呼吸が乱れる。
頭の中で「マイペース、マイペース」と念仏のように唱えながらアップダウンを繰り返し、日向沢ノ峰の取り付きに到着した。
ここは山頂経由と巻き道の分岐点でもある。
これまでの調子では巻き道を利用するのが無難なところ。
しかし、山頂経由の山道を見上げると、急傾斜にむき出しとなった魅力的な岩場が見える。
この眺めに歩行欲が上昇。
巻き道には目もくれず、山頂へと続く山道に踏み入れた。
今にも崩れそうな荒々しい岩場を横目に、急斜面の山道をジグザグに登る。
岩場の迫力に感嘆しながらも、歩みを止める事なく淡々と登る。
ツラい。
(チラッ)おお、岩場スゲェ。
ふう、ツラい。
これをしばらく繰り返して日向沢ノ峰に到着した。
目の前に拡がる新たな視点からの奥多摩の山々を前に、一時疲れを忘れて見入ってしまう。
穏やかな陽気の山頂に、ぼんやりと景色を眺める男ひとり。
40前の山歩き人よ、ここで休んでいきなさい。
そんな声を聞いた気がした。
「それでは遠慮無く」と、マットを敷いて寝転ぶ。
本日のスケジュールであと越えるべきピークは蕎麦粒山のみ。
地図を開き、暗くなる前に一杯水避難小屋に辿り着ける事を確認すると、気持ちにも余裕が出てきた。
鼻唄混じりに再出発すると、久し振りに登山者とすれ違った。
「アカヤシオがきれいでしたよ!」
話を聞くと、稜線から有間山方面へ10分程下ったところに『アカヤシオ』があるらしく、まさに今が見頃との事。
その興奮気味な語り口調に私も見てみたくなり、稜線上に荷物をデポ(残置)して有間山方面へと下ってみた。
稜線から有間山方面へ10分程下ったところに『アカヤシオ』が咲いていました。でも蕾もステキ。
身軽だと足取りも軽い。
それはそうと『アカヤシオ』ってなんだろう。
間違いなく植物だろう。
そして、赤いだろう。
このいい加減な予想を頼りに下ってゆくとありました。
アカヤシオが。
川苔山への途中で見かけたツツジ?
と、この時は思っていたが、翌日、別の登山者に『アカヤシオ』について教えてもらう事となる。
※ちなみに鳩ノ巣駅から川苔山に登る途中で見たのは、三つの葉の付き方が特徴的な『ミツバツツジ』でした。
稜線に戻り、改めて蕎麦粒山へ向かう。
山頂が蕎麦の実のように綺麗な二等辺三角形を型どっている事から付けられた『蕎麦粒山』。
ただ悲しいかな、この山行中に幾度となく『そばつゆ山』との言い間違いを耳にした。
そんな私も言い間違えたひとり。
「どちらへ?」
「そばつゆ・・・いや蕎麦粒山です」
蕎麦粒山に登り始めると、背負っている衣食住がのし掛かり、やはり息があがる。
山頂道標を目視できても、その山頂が遠く感じられる。
ヒッヒッフーッ!と、何かを産み出しそうな息づかいになりながら蕎麦粒の頂点へ辿り着く。
疲労困憊。
この言葉が最も似合っていただろう私の前には、寝転ぶのに最適な岩場があった。
ここで休んでいきなさい、40目前男よ。
もう天の声を聞くまでもなく、岩場にバタッと倒れ込んで大の字になる。
全身から疲れが放出される感覚を覚えながら、そのまま目を閉じる。
どのくらい寝ていただろうか。
熟睡してしまったと思い、慌てて起きるとそれ程時間は経っていなかった。
そして、思った以上に疲労は解消されていた。
もう、日は傾き始めている。
夕暮れ間近を告げる柔らかい日の光を受けながら、一杯水避難小屋へ向けて本日最後の歩みを進める。
途中にある『一杯水』の水場で、細いながらも流れていた貴重な水を頂き、日が落ちる前に一杯水避難小屋へと到着した。
先客は二人しかおらず、混雑を想定して持参したテントはただの重りとなってしまった。
それでも後悔はない。
綺麗に使われている小屋内に寝床を用意させてもらい、明日の歩きに備えて、腹一杯の晩飯と早目の就寝で山行初日を終えた。
社会生活から離れ、今期最初のテント泊装備での縦走。
現実と逃避の狭間。
そこには30代お別れカウントダウンが始まった私の『老い』があった。
※日々運動していないだけです。