パワースポットとして有名らしい七面山を歩く。
天気予報では一日中『弱雨』。
それでも今回は個人的な思いもあり、樹林帯だし山道もしっかり整備されているようなので、雨の山歩きも悪く無いだろう。
聞くところによると『浄化の雨』と言って悪いものでもないらしい。
七面山は日蓮宗総本山である身延山の西方裏鬼門に位置し、山頂近くには敬慎院(けいしんいん)がある信仰の山。
特に信仰目的で行く訳ではないのだが、どんな雰囲気が漂っているのか興味はある。
七面山には表参道と裏参道があり、今回は表参道から登る事にする。
表参道側にある羽衣駐車場に着くと、白装束の修験者が多い。
と言うか、修験者しかいない。
何だか場違いな感じを受けながら、登山口の鳥居で手を合わせ、信仰の山歩きスタート。
信仰の山らしく、杉並木の参道にはどことなく厳粛な空気が流れている。
休憩所や休憩ベンチなど整備は万全。淡々と登るには申し分ない参道だ。
そんな参道を修験者の方達は念仏を唱えながら歩いてゆく。
そこには宗教と言うよりも、各個人それぞれに揺るぎない信仰心を感じてしまい、己の信仰のなさと比べてしまうと、何だか申し訳ない気分になってしまう。(※私は無宗教です)
それでも修験者の方達はすれ違い様に「御苦労さまです」と、何の色も付けず、文字通りの意味の言葉をかけてくれる。
中学生くらいの子からは「頑張ってください」と、あまりにも素直すぎる言葉をかけられ、返事に詰まってしまった。
ああ、何だか歪んだ人間になっちまった気がしてならない・・・。
これはもう邪念があるとか、信仰心が足りないとか、そんな事は脇に置いて、ただ歩く事に集中しよう。
参道の所々には石燈篭があり、それぞれ『丁目』が振られている。
参道入り口が『一丁目』、山頂付近の敬慎院が『五十丁目』となる。
「丁目を確認すまい」と思いつつ、石燈篭が現れるたびにやはり見てしまい、「ああ、まだだな・・・」とガッカリする事数知れず。
途中、降ったり止んだりの雨も、山頂に近付くにつれ激しさを増してきた。
敬慎院に到着する頃には結構な土砂降りに。
敬慎院と渡り廊下で結ばれた祭殿の間からは一ノ池が見える。
標高1700m付近とは思えないほどの立派な池で、正面の祠には水晶玉が祀られていたらしい。(後で知った)
敬慎院に参拝して、気持ちも静かになった所で七面山山頂に行ってみる。
雨脚は弱まったもののガスで景観は期待できないが、それでも登ってみる。
案の定、山頂はガスで何も見えなかった。
そもそも展望が良いとはお世辞にも言えない山頂だ。
※敬慎院随身門前の広場は富士山の好展望地です。
しかし、今回はそんな事、問題ではない。
ここまでこれた事だけで十分。
帰り際、敬慎院吉祥門にある鐘楼で、己の煩悩を消すためにも梵鐘(釣鐘)を撞いてみた。(※登詣した人は自由に撞けます)
七面山に鐘の音が鳴り響く。
子供っぽい好奇心もあったとはいえ、久しぶりに撞く鐘の音はなかなか良いもので、鐘の振動がじんわりと腹に響いてくる。
さらば、私の煩悩。
下山も個人的な思いを胸に、淡々とした歩みで下りてゆく。
それでもやはり『丁目』が気になる。
『十丁目』位まで下山すると、心の中でカウントダウンを始めてしまう始末。
そして、参道入り口である『一丁目』に到着するなり、「風呂入りたい」と真っ先に思う。
おかえり、私の煩悩。