立て続けにやって来た台風の影響で週末の天気が悪い。
しかし台風の進路がそれてくれた事で快晴の予報に変わった。
それならば歩きにいこう。
目的地は電車で行ける近場の房総丘陵。
調べたところ、房総半島には東京湾側の内房から大平洋側の外房へと延びる『群界尾根』というのがあるらしい。
房総半島の安房と上総を分ける国境の尾根で、山好きからは愛称として『群界尾根』と呼ばれているとの事。
尾根伝いに房総半島を横断できるなんて、心惹かれる要素ではないか。
流石に1日で横断できるとは思わないので、今回は偵察がてら行ってみよう。
寝過ごして始発の電車に乗り遅れ、次便で出発。
よくある、よくある。
1時間遅れでJR内房線の浜金谷駅に到着。
早速、群界尾根目指して、まずは鋸山へと向かう。
実は若干緊張している。
道迷いによる遭難のほとんどは、森林限界を越える標高の高い場所ではなく樹林帯でおきる。
見通しが悪く、地形も複雑に入り組んでいるため、地図やコンパスがあっても自分のいる場所を特定しづらいのが原因だろう。
群界尾根は最高地点でも標高320メートルほど。
観光名所の鋸山を過ぎたその先からは、一般山道はなくなり文字通りの山歩きとなる。
つまり道迷い要素が揃っている訳だ。
とにかく自分の居場所を見失わないように、地形図とコンパスで自分の位置を確認しながら歩けば問題ないはず。
未知なる体験への期待半分、不安半分で、まずは稜線に出る前に鋸山名所の石切場跡を見学。
江戸時代後期から盛んに行われていた石切は、石切職人によって鋸山中腹から均等に切り出され、石灯籠や墓石、石仏等の石材として重宝されていたようだ。今ではセメントの普及や戦争の煽りを受けて廃業となっている。
華麗だっただろう石切職人のつるはしテクニックはもちろんの事、切り出した石材を山腹から積出港まで運ぶのは女性の仕事だったというのが驚きだ。
この石切場を見るたびに人間とは物凄い事をやってのける生き物だと感心してしまう。
石切場を堪能した後は、急な石階段を登って稜線に乗る。
この辺りは、まだ一般山道。少々荒れているとはいえ踏み跡は明確だ。
一般山道伝いに鋸山を通過し、難なくチェックポイントの林道口に到着した。
さて、ここからが山道ではない文字通りの『山歩き』だ。
進むべき方角を確認して、目の前のピーク目指して突入。
歩きやすそうな場所を選びながら登ると、標高が低いためあっという間に目標のピークに到着した。
そして、進むべき尾根を確認して次のピークへ。
ノコギリの歯のように小さなアップダウンが多いこのルートで、ピーク毎に確認するのが面倒となり、ピーク毎から数ピーク毎へと確認間隔が広がってゆく。
出発時の緊張感はどこへいったのか。
『慣れ』とはこう言う事だな。
何となく踏み跡もあるし、所々にテープも貼られているからダイジョーブと、高を括っていると案の定、支尾根を下って少々道迷い。
特筆すべきはルートを外れた事よりも、早い段階で間違いに気付き、修正できた事だな!伊達に地形図を眺めていた訳ではないな!
と、自分を慰めつつ正しいルートまで戻る。
ふと気付くと、うっかり足を滑らせれば滑落事故となる細尾根上にいた。
岩壁から石を切り出す程の生命力を持つ人間とは言え、命を脅かすのに標高差など十数メートルもあれば充分。
石を切り出す生命力を発揮した事もない私などは、恐る恐るの歩みで慎重そのもの。
細い岩稜を進むと、見張らし抜群な岩場のピークに到達した。
道標も何もないが、どうやらここが小鋸山のようだ。
眼下には綺麗に切り出された岩山が並び、ちょっとした和製グランドキャニオン(小)の様相。こんな岩山の景色を眺めていると、日本古来の木の文化とはちょっと違った文明の歴史を感じる。
ちょっとした和製グランドキャニオン(小)の様相の石切場跡。
ミニキャニオンをひとしきり眺めたところで先に進もうとしたが、下降ルートが見つからない。
あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。
やっぱり見当たらない。
これまで頼りにしていた目印のテープも見当たらない。見つかったのは古ぼけたノーム人形一体のみ。
ここは慌てず騒がず、腰を下ろしてミカンでも食べながらちょっと休憩。
ふーっ。
さて、どうしたものか。
地形図を見る限り、北側に下降できそうな緩い斜面はあるのだが、上から見るだけではヤブで確認することが困難。
岩場のピークで切り立っているため、勢い任せで下りたくはない。
2つ目のミカンを食べて再検討。
3つ目のミカンを食べ終えたところで引き返す事にした。
今日は偵察のつもりだったし無理に進む必要もない、と言い聞かせつつも、軽い敗北感を味わいながら来た道を引き返す。
林道口まで戻り、林道経由で下山。
後はお風呂→お土産購入の定番コースで保田駅から帰路に就いた。
房総半島を横断できる群界尾根縦走。
いずれチャレンジしなければな。